お母さんを守る子供たち
「家族」の問題はどこかでたくさんの人とつながっている
この言葉を読んだとき、
つい最近3年ぶりに会った友人と話したことを思い出した。
幼少期の親との関わりあいや育てられ方、
親の顔色をうかがって生きていた子供時代、
自分の家庭だけのことだと思っていた。
なんと傲慢なことだったか。
それが、年を重ねて久しぶりに会った友人と、そんな
話が自然と出るようになった。
家族の問題は皆、軽症か重症か多かれ少なかれ
同じような感情を通過してきているのだ、と
初めて気づかされた。
うまく感情表現できずに体の発達と精神の成長が大幅に
ズレてしまった10歳の頃。
この頃には、今になってもわからない、思春期にだけ体内で起こる
ホルモンのような何かが分泌されているのだろうか。
この歳になって、今を生きているなかで様々な状況にあたるとき、
子供時代、思春期を思い出してしまうのには、
幼少期に受け取った感情や体験は、
その後の人生を決定付けるなにかがあるからだろうと思う。
それだけ、親の愛情を受け取れたか、受けられなかったかは
天と地ほど違いがある。
逆に言うと、今の問題を解決するには
自分の幼少期と真剣に向き合うしかないのかも知れない。
以下引用(できればムカつかずに生きたい ― 田口ランディ)
「 子供は自分自身に起こる現実にはかなりたえられる。
たえ難いのは母の身に起こる事だ。母が傷つくことだ。
母親から離脱するまで、子供の行動は母親を守る事を優先する。
守るべき母親が何を大切に思い、
何に屈辱を感じるかを明確に察知していた。
少なくとも私は、母の価値観を暗黙知していた。言葉にはできないけど、
母の価値観を熟知していた。そしてそれに合わせようとしていたと思う。
それが子供の行動原理だ。
口をつぐむ子供というのは多分に母親をかばおうとしている。
だからこそ、その後、私は、母をあんなにも恨んで、思春期を過ごしたのだろう。
思春期に入って自分のゆがみに気がついた。
それを私に与えた母親の無自覚さに腹を立てていたのだ。
母親は ”ちゃんと教育した” と思っている。
でも、子供は ”言われた事”から学ぶのではない。
非言語的な母親の価値観から学ぶのだ。
生き様を隠して子供を教育したと思っている母の愚鈍さに
思春期の私は腹を立てていたのだ。
私は、母を守るためにあんなに必死で闘ったのに・・・・・と。
子供の母親への熱烈な愛情は、母親の想像を越えている。
母性愛は子供が母を思う気持ちには絶対にかなわない。
母は子がなくても生きる。生まれた子は母がいなければ死ぬ。
子供が母親を思う気持ちこそが本能なのだ。
母性は本能ではない。
往々にして母親は子供のナイトぶりに気がつかないものなのだ。
子供がいかに母親を守ろうとしているか、母親は知らない。
知らずに自分が守っていると思い込んでいる。」
私の七不思議のひとつ。
母親もかつてはまちがいなく、例外なく、子供だったはずだ。
ではなぜ自分が子供だったころを
思い出すことができないのだろうか。。。
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コメント
ステキなメッセージに感動しています。
苦しいこの家族の状況の中で、子どものすべてのことが
私の心を解放してくれています。
子どもの声や表情、話し掛けてくれる言葉が。
私の子供だったときに抱えていた感情を
それでいいんだよと肯定してくれます。
生き直ししています。
しかし、パートナーはそれに苦しんでいます。
私は、じっとじっと彼の小さな小さな声を聴くように
やっと耳をもつことができました。
それもこれもすべて、子どもが教えてくれているように思います。
私も母を守り、苦しみ、彼も母を守り、今もなお苦しんでいます。
その母たちは、自分はしっかりと育てたと言い切るのです。
私が母の代わりをしています。
その時できなかったこと、全部。
子どもと過去の子どもと過去の母と今の母。
すべてが同時。
私の母親ぶりは、どうなのだろうか。
子どもの愛を感じる心を大切に。
我が子のみならず、近隣の子どもからの愛も感じる心。
投稿: 谷さん | 2006年3月17日 (金) 20時34分