ゆるぎない芯を持つこと 

 私は自分に突きつけられる問題に直面したとしても、

あわてたりはしません。

なぜなら、その問題なり状況が起こるということは、

その時点での自分が、その事に耐えうる力が備わっていると

考えるからです。

                                                         

                                                               

それまで苦しんでいたり悩みがあると、何らかの形で、

(さまざまな本を探し、読んで学習するとか、人に話を聞いてもらって

助言を示唆してもらうとか、人の話を聞いてヒントを得る、あるいは

何でもいいので何か作業をしている中でわかることなどなど)

人は、絶えず自分の内的な力を発揮し何とかしようと働きかけるもの。

                                                          

                                                        

なので、意識に置いて、努力し続けていれば結果として生じた事に

耐えうることができると思っています。

それまでやり続けていた努力などは貯金として残高にあるので、

あわてる必要がないのです。

                                                           

ここまでの考えに至るまでは随分かかりました。

自分にしてみれば多くの書籍も読み、積極的に高い意識の

舞台芸術にも触れ、学ばせてもらい。

このことは、 『7つの習慣』 スティーブン・R・コヴィー著

に、とてもわかりやすく書かれています。

(最近、相方が見つけて仕入れた本)

1996年からの大ベストセラーで、現在まで第61刷発行されています。

驚くべき数字です。

これは、人生のあらゆる局面においての普遍性を示しているの

だと思います。

                                                          

 『7つの習慣』は、私の座右の書となり、人生の道標と

なっている。これほどに人間を深い慈愛に満ちた目で捉え、

書かれた本を私は知らない。

          ― ザ・リッツ・カールトン・ホテル 日本支社長

                              高野 登

                         (本書 裏表紙より)                                     

 

                                                          

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賛成の反対の賛成ナノダ

 JMM(Japan Mail Media:村上龍氏が編集長として

発行するメールマガジン)の回答者として登場する妙木浩之氏

の著書が、興味深い。

心理経済学講座 『好きできらいで好き。』

                                                             

非常に個人的なことを洞察力鋭く吐露していくMAKIさんとの

メールのやり取りを、臨床心理学、精神分析学のスペシャリスト

である妙木さんと交わしているもの。

                                                           

私個人には共感するものが多く、MAKIさんの非常に個人的な

事であるにもかかわらず、その家族環境、育ち方において

感じていた彼女の気持ちが、私と似ているところがあり、

妙木さんの回答が琴線にガンガン響いてくる。

                                                         

もはや、個人的なことというのは、ひいては万人に共通する

悩みであったり、抱えている問題になっていたりするのだ

ということを、このメールのやり取りは示してくれる。

(だからあえて人に読まれる前提で書かれたものであり、

著書となって世に出版されるのだろう)

                                                          

各人が育ってきた密室(家庭)が、経済につながっている

ということを感じずにはいられない。

子を持ち、その子は大きくなり社会で経済の担い手となり、

消費者となる。

そんなごく当たり前のようにみえるような、出産を通して

各家庭から新たな個人が出て行くことの重みを、

言葉で解説してくれて、わかりやすい。

                                                       

親の思い込みで、間違った定義を子に伝えることが

その子の将来の考えにどんな影響をもたらすのか

が見える。

ゼロか百か、でなくその中間領域が実は重要な役割を

果たすということもわかってきた。

                                                           

私の場合、成熟していない親を本能で察知していたのか、

小学生の頃から、悩みを相談する相手も分かち合う相手も

友達、あるいは社会に出た後でも学生時代の恩師であったりと、

すべて ”外”に向かっていた(そして現在も)。

それをべつに何とも思わず自然に外に向けていたこと

というのは、私の薄い親子関係を表していたのだと思う。

                                                         

私が興味を持っている ”無意識”の領域を解き明かしている

「失錯行為」について、フロイトの見解には、なるほど!と

大きくうなずいてしまった。

(文中には例としてあげた行為があって)つまり、これでヨシ

としてやったことが何度も失敗しているのは、

ほんとうはそれを自分はやりたくなかったので

結果的に失敗とてして返ってくる。

意識の上では失敗しているのだが、無意識の領域では

成功しているのだということ!

                                                       

なんだかスピリチュアルな話だが、心理経済学にも

つながっているわけ。

超個人的な事とは、誰かの個人的な事につながって

いるのだと私は思うので、このブログを書いています。

(みなさんもそうではないだろうか)

妙木さんの心理経済学講座シリーズはJMMにて

無料で読むことができますよ。(オススメ)

                                                        

                                                         

                                                                 

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人間育て

 児童精神科医、佐々木正美先生の書いた本

(子どもへのまなざし 等)を読むにつれて、だんだんと、

自分の幼少期の発達過程をも解き明かされていくような

感覚になる。

乳幼児期は育児にとって基礎の時期であり、この時期を

どう子どもとつきあうかが、その後の子どもの人格の形成に

大きな影響を与えるということ。

(くわしい内容は先生の著書を読むことをおすすめします)

                                                                   

言うなれば、この時期は建物でいう基礎工事であって、

基礎工事がしっかりできていれば、あとはリフォームしようが

建て増ししようがどうにでもなる。

人間で言うと、乳幼児期の基盤があれば、どんな高校、大学に

行こうがいくらでもやり直しがきく。

                                                                

建物ならば、基礎工事もすべて取り壊し、最初からやり直す

ことは可能だ。

しかし、人間だとそうはいかない。

10歳になってから、30歳になってから幼稚園に行き直したり

などできないのである。

                                                            

乳幼児期の基盤がないと、思春期、青年期以降に大きな

影響が出てきて、その後の将来の生き方にもそれは及ぶ。

(”育てなおし”することでしか治療できない精神の病もあるという)

                                                        

子どもの乳幼児期に親がどんな気持ちでいたか、どんなふうに

接していたかは、子どもが成人した後にいつかバレる時が

くることだってあるだろう。

なぜなら、子ども自身が社会に出てからのつまずき方や、

うまくいかない人間関係の中でいやおう無く向かってしまう

原点だからだ。

日常生活で忙しくしている時は、ただ気がまぎれているだけで、

本質的な問題がなくなったわけではないのだから。

                                                           

子ども自身が成長してから本人の努力で取り戻したかのように

できるにはできるが、多大なエネルギーを要するという。

                                                             

 私の場合は、成長するにつれて親(主に父親)の気持ちを

先に読み取り、親が喜びそうなことをするのに心を奪われて、

親に手を焼かせないような子どもだったので、精神状態は

不健康だったのだと、この本を知ることで理解したのでした。

(10歳で拒食症になったのもその表れ)

                                                             

また、幼少期にならなおさら、親が担わなければならない役割を

親が果たせなかったために、小さな子どもがそれを

させられているという奇妙で不健康な状態。

それでもまだ昔は、近所に幼なじみや同じクラスの友達が

けっこういて、毎日の遊びのなかで子ども同士で

育ちあうことができた。                                        

                                                           

社会背景が変化した現代は、人間育て、

どうすればいいのだろう。

みなさん、どうしておられるのでしょう。

 

                                                       

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社会性と発達過程について2

 社会性の発達には、人を信頼できるということが

基盤にあるらしい。 それは乳幼児期に得た母親への

信頼感であるという。

乳幼児は、オムツを替えて欲しいと泣き、お腹がすいたと泣き、

退屈だと泣き、寂しいと泣いて、母親を呼びつける。

                                                                     

自分では何もできない時期に、母親を振り回すくらいである

といいという。

この乳幼児期に、十分な依存をし、それに対して十分な

愛情を得た経験があると、児童期に他者との

コミュニケーションがうまくできるようになっている。

(ひいては将来大人になってからのコミュニケーション

上手の基盤もここにある)

                                                           

この十分な依存期間に愛情を受けた上でないと、「しつけ」

は成り立たないという。    いわるゆ”父性”が受け持つ、

社会のルールや規則を教える役割のことだ。

(たとえ、離婚などで母親しかいない場合でも、その父性の

役割もやることは可能なのだと。父親だけの場合も然り)

                                                             

注目すべきは、家庭の中の夫婦の力関係が大きな影響を

その後に残すことだ。

父親は家庭の中で、第一の主導権を持ち、導く役割で、

両親と子供の位置づけにはっきり境界線があること。

(子供中心でない)

この場合、父親は安心して迎えられる主導的役割を果

たしているので、自発的な楽しい家族団らんがある。

                                                        

反対に、家庭の中でも支配、権威的で厳格な生理整頓や

礼儀作法など秩序を厳格に守らせる頑固で支配的な父親と

母親も同じような傾向を示し、あるいは協調ではなく、

競争的な力関係の葛藤を持っている家庭では、

子供が二つの障害を起こしやすいという。

                                                            

一つは、子供の心理的内省エネルギーが家庭の内側に

求心的に向かう場合で、彼らは自らの感情の表出を抑圧し、

非社会的で自発性の乏しい行動様態を身につけて、

神経症の状態に陥りがちとなる。

場面緘黙、登校拒否、拒食症や過食症の青少年は

こういった状況から生まれやすいという。

                                                         

もう一つは子供の心理的エネルギーが家庭の外側に遠心的に

向かう場合で、非行など反社会的な不適応行動を示すもの。

この両親は相互に葛藤パワーを強く持っており、相手を

自分の意志どおりに操作しようと競い合う緊張関係にあることを

観察結果は明らかにしているとのこと。

                                                         

それから、女の子にみられるもので、母親が女性として、

子どもが肯定するような母性を十分に発揮できなかった場合、

母親(女性)への同一化を避けて、男性的な行動様式を

とったり、男性的なやり方での自己主張をする性格をつくりあげて

いく人たちもいる。

                                                          

同様に父親への拒否的な感情が優位になると、男の子どもは

男性化の発達が停滞し、受動的、依存的行動様式を示す

ようになる。

                                                              

人間が、人間になっていく過程の心理的要素は複雑である。。

人間の発達について知ることが、自分には必要と思っている

人たちにはこの類の本を手に取ることになるだろうと思う。 

                                                            

                                                       

    

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社会性と発達過程について

 このところ、児童精神医療のことばかり、素人なりに

憚らずも書いているが、それは私にとって

(私の生い立ちとその家族環境)、知らなくてはならないことの

ひとつだからであると思っている。

乳幼児期に親にどう接してもらったか、12歳までに適切な

発達課程を経てきたかが、その後の長い人生に深く関わること

になると痛感しているからだ。

                                                            

子育て中の友人に教えてもらった児童精神科医の

佐々木正美先生の書いた本を読んで、なるほど今までの

謎が解け、納得できる良質な回答を得ることができた。

                                                               

 「自分が本当にやりたいことを手控えて、親を喜ばせようなんて

考える必要は少しもない。そんなことでは、一度きりの人生が

残念なことになる。親を踏み台に大きくなっていけばいい。

親より先に死ななければそれでいいんだ」

  『児童精神科医が語る 響きあう心を育てたい』

         佐々木 正美 著 より

                                                        

過保護と過干渉の違いなど、理解している人はあまりいない

のではないだろうか?

(もっとも、今では誰も教えることができないのが現状でしょう)

私も初めてほんとうの答えを知り、目から鱗が落ちました。

つまり、本人が自ら望んでいることはどんどん手伝い、保護して

あげることがいい、と。

(命に関わる危険や社会的に許されないこと以外)

その過保護でおかしくなった子どもを見たことがないそうです。

                                                         

過干渉とは、本人が望んでもいないことをやってあげること

だそうである。これは親自身の望みでありエゴである。

このところを勘違いしている人はかなりいるのでは

ないだろうか?

引きこもりになることのない人間を育て、社会に送り出す

ことは大人の重大な責任。

                                                             

不幸にも、乳幼児期から児童期までに発達に適切な課程を

獲得することのできなかった現代の多くの人たちには、

一人でも多くこの児童精神科の内容を知ってもらいたいと思う。

そして自分の子どもに同じことを連鎖させないように

することに力を注いでほしいと思う。

                                                                                                                       

たくさんの兄弟がいて、ご近所社会が成り立っていたために

母親がきちんと社会性を持っていたむかしむかしの時代とは

変わり、今の時代に合った社会性の身に付け方を

模索していかないと、将来、本当に社会性のある人間が

いなくなってしまう可能性だってあるだろう。

                                                           

危機感を共有できる人たちが増えていくことを心から願う。

                                                          

                                                            

                                                        

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知恵

子どもが親のことを思いやるようになったら、親の末期だ。

親というのは死ぬまで一方的に子どものことを

思いやる存在だから。

           (佐々木 正美のことばの森)

                                                            

 親を大事にするということがどういうことなのか、

この児童精神科医の佐々木正美先生のことばが

教えてくれる。

                                                            

子どもの自立心を育てるということは、周囲の人に頼ることを

教えることである。

                                                              

自分では何もできない時に周囲の人に手をかしてもらったことと、

自立の芽とは深いつながりがある。

                                                                   

 人に頼ることの下手な私が、自立に苦しんだのは

そういうことだったのかと思う。

人の力をかりること、人を頼ることがいいことだと知ったのは

最近です。。。

人は頼りあい、 支えあう共存体なのですね。

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移動しはじめるときだけが

 いつでも飛行機や車や電車に乗っていたかった。

あまりあれこれ考えなくていいし、自分がふらふらしていることを

忘れることができる。

                                                            

 移動しはじめるときだけが好きなのだ。目的地が近づいてくると

少しだけ憂鬱になる。 また地面におりてその中の時間に

入り込まなくちゃならなくなる。 そこにはいろいろな人々の

気持ちが渦巻いていて、私はそこに少しずつからめとられ、

なにかをもらったり吸い取られたりする。

それこそが生きていくことだってわかっているからこそ、

いやなのだ。

         『彼女について』 よしもとばなな

                                                           

 よしもとばななの小説にはそこかしこに、私の気持ちが

表現されていてハッとすることが多い。

小説を読んでいる時間がすきである。

小説家の役割というものに惚れ込んでいる。

                                                            

世の中に様々な仕事が存在し、それに従事する人々がいて、

なにかしらの役割を果たしているもの。

自分ができないことは他の誰かが担っている。

他の誰かができないことを自分が担っている。

そうやって世の中まわっていく。

                                                          

一瞬すれ違う人、出会う人それぞれにその人の

人生の層がある。

なにを背負い、なにに向かってどこへ行こうとし、

なにになりたいかを、自覚している人は

凪のように静かだ。

                                                             

                                                             

                                                            

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読書のススメ

 草は花を咲かせ枯れていく。

 老木の養分が新芽を育てる。

                                                              

この頃は、衰えてゆくことを悲観的にとらえないようになった。

「年はとりたくないねぇ」 などど嘆く中高年をたまに見かける。

そうだろうか。

いつまでも若いアマちゃんのまま、空虚なまま、不老不死に

なりたいとでも本気で思っているのだろうか?

                                                           

ちゃんと年をとり、年々いろんなことを解するようになり、

若い時より少しは賢くなって、ものの見方も広くなることは

面白いことだと、いま私は個人的に思う。

生まれたからいつか死ぬ。

(哲学者の故池田晶子さんも著書で言っていた、死因とは、

どんな病気によらず、生まれたことによる)

                                                             

日本は経済成長期もとうに終り、成熟化を迎え、生とは、死とは

を振り返るちょうどいい時期に映画『おくりびと』が作られたものだ。

なぜこんなに支持されるのかはアカデミー賞を獲得したから

だけでなく、日本人、いや人類にとって必然なタイミングに

適切だった、としかいいようがないように思う。

                                                              

声を大にして言おう。

年をとることを楽しもう!

増えていく皺、衰えていく身体。 それは今生きている瞬間

にしか起こらないたしかな現象。

受け容れて、川の流れのように生命を流れさせたい。

                                                           

たくさんの本を読んで考える力、考えぬく力をつけて、

若い時からそうしてきた人は必然と、

まちがいなく未来を形成する担い手となることでしょう。

                                                          

『おくりびと』主演のモッくんをはじめ、小泉今日子、薬師丸ひろ子、

そういった中年世代の人たちがどんどん素敵な顔つきになり、

魅力と輝きを増してきている。

人間的な内容の深みとともにオリジナリティがおのずと表に出る。

素敵な中年世代の人たちが見本になると、若年世代の人たちも

生きやすくなると思う。 

                                                        

白髪が老けさせて見える。シワが痛々しくみえる。

そういう人と、逆に魅力にみえる人との違いが、

中年以降、如実にはっきりと分かれてしまう。

                                                      

春です。

本を読みましょう!?

                                                                                                                  

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事件簿?

 警察の方が家に二人たずねてきた。

警察というから、制服を着た人が来るのかと思っていたが、

私服の刑事さんだった。

"刑事” という職業の人はテレビドラマでしか見たことが

なかったので、興味津々、初対面。

                                                           

 かれこれ一年ほど前、スポーツクラブの会員証をどこかで落とし、

それが忘れた頃になって見つかったとのこと。

所持していたのはなんと!車上荒らしを繰り返して警察に

捕まった犯人だった。

犯人の盗んだ数あるもののうちの中に、私の会員証があった。

                                                          

警察の方によると、犯人は初犯ではあったが他人の名前が

入ったものを盗み、あるいは拾い、集めるクセがあるという。

聞けば妻子もある中年の男だというではないか。

せんだって判決が確定し、執行猶予付きの懲役2年。

それで、警察側で盗難品を被害者に返す作業を行っているというわけ。

(ここでやっと、振り込め詐欺関係の偽刑事ではないと

安心した私であった)

                                                             

他の被害者の方々はバッグや貴重品もあったらしいが、

私のはなんせ、つまらぬもの。

わざわざ山形の警察署(犯人は新潟在住で、秋田出身のため、

途中の山形でなんらかのわけで御用となった)から、

新潟まで出向き、それぞれの被害者へ返却作業をしている

ということであった。

                                                            

ご苦労様です。

金銭価値のない、たかがスポクラ会員証、されど名前の入った

私物である会員証。

ほんとうに、骨折り作業だ。

こんなもののために来てもらって申し訳ない思いで一杯に

なりながらも、刑事課のこまめな処理対応に感服。

                                                            

だけど。。。。もっとなんとかならぬものだろうか。

新潟の警察に引き継いで、引き取りに来るまで預ける等、

同じ警察組織なのに、、、、と、

腑に落ちない思いに駆られました。

(山形から交通費、宿泊費をかけて出向く必要があるの?)

                                                      

私服の刑事さんと初めて応対したが、知らない世界を垣間見

たようでちょっとドキドキ。

年若い青年と老練した風のベテラン刑事の二人組みというところも

ドラマと同じではないか!

                                                           

事件なんてのは絵空事、と思っていたが、

事件は日常の中にあるのだと思った。

いつ事件に巻き込まれても不思議ではない。

刑事もののテレビドラマがなぜあんなにあるのか、作るのか、

それって、人生には表と裏があり、生き抜く上では汚いものも

見なくてはならないという、この世の厳しさを無言のうちに

知らせているように思えてくる。                                                       

                                                            

この世に生を受けて初めて知る不浄の世界。

幼子だった無垢な子供もいずれ、人生の表裏、光と影を

知らなくて生きてはいけないのだ。

善と悪、表と裏。

どちらも共存して初めて人としてどう生きるべきかを

考える既得権をもつことができるような気がする。

                                                              

それにしても犯人逮捕の現場、現実って、どんななのだろう。

なにを隠そう私、よくテレビで見る「万引きGメン」を

やってみたいと思う方なので。

                                                            

                                                          

                                                           

                                                           

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遅れて来た感動

 読みたいと思っている本が山ほどある。

全部を単行本で買ったりなどできないので(べらぼうな金額になってしまう)

たいていは図書館のHPで検索して、あれば借りたり、

貸し出し中ならば予約を申し込む。

出版直後の人気小説などは、多い時には300人待ち、という

すさまじい状態にもなる。                                                       

順番が回ってくるのは数ヵ月後。

あたりまえだがその時読みたい!と思っていた情熱と

テンションの高さはだいぶ落ちている。

                                                                 

何年も前に出た本ならば、古本屋で文庫本になっているのを

探したりして、そこで、以前からつねづね読みたいと思っていて、

機会を逃していた本に出会うと、

「なんて傑作なんだ!」 と、今さらながら世の中の感動と喝采から

かなり遅れて、ひとり万歳をしたくなる。

                                                        

偶然目についた本を読んで、テンションがあがったときなど、

「こんなすばらしい本をなぜ今まで自分は知らずにいたのか!・・・」

などと、ひとりハイテンションの渦中、最終ページの初版年を確認して、

これを執筆した著者、出版にかかわった人々の思いの強さと

重さに圧倒されてしまう。

                                                       

映画も然り。

気になった作品(本も映画も)は、事前にAmazon.comで作品

レビューをみたり、情報収集をしてから借りる。

そうしていると、一度気になって、しかもレビューや業界人の

評価に心動かされると、いてもたってもいられなくなって

即行。 借りに行く。

(動物占いではチーターなので、瞬発力勝負)

                                                          

レビューなどは個人の価値観で感じ方が違ってくるので、

参考にはするけれど、自分の感じ方に向き合うようにしている。

どんな作品も、自分の心象風景を見ていることに、後で気づく。

自分がどんな風に育ってきたか、どんな環境で生きてどんな考えを

持っているかで、当然ながら感想はちがう。

                                                        

私は、人は人生の中でなにを見てきたか、何を感じてきたか

は、その人の持つ雰囲気や選ぶ言葉におのずと表れる

と思っているので、感性のアンテナは常に高くしていたい

と思う。  

                                                             

 後になって、その時のあたりまえのように流してきた学生時代

の出来事や感覚が、どんなに有難かったかを

思い知ることが多くなった。(年を重ねて)

その質感みたいなものが今、哀しみとなって、胸を熱く下っていくのを

ささいな局面で感じている。

                                                           

                                                           

                                                            

                                                         

                                                    

                                                                  

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